死んだことを忘れたことについて

母が死んだ時、9歳だった。

癌だった。

悲しかった寂しかった。

 

死んだ日、一日中病院にいてチョコレート2個しか食べなかったから、母が夜死んだ後、お腹が空いて空いて仕方なくてコンビニでミートパスタを買ってもらって食べた。

しばらくすると、母が病院からうちの座敷に運ばれてきた。ミートパスタを目の前に、母は布団に仰向けになった。

ヘトヘトになってその日は終わった。

 

朝になると、母が生きてる感覚が一瞬した。おはようを言いに行こうと思ったけど、いないんだとすぐに理解した。

あの喪失感は死んだ時よりずっと悲しかった。

 

それから時間が過ぎて痛みも柔らかくなって。

 

 

こないだ私を、私たち家族を、母が死んでから支えてくれていた祖父が死んだ。

 

小学校の時は晩御飯を作ってくれてた。料理が得意で、いい暮らしをしてた。大きな家と、立派な庭と。趣味があって。

 

正月はおせちもお雑煮も作ってくれた。盆は朝早く墓参りしにいった。これが毎年の行事。絶対欠かすことのないもの。

 

自分の愛する妻が死んだ以外は祖父の暮らしはおおむね、穏やかで満ち足りていた。良い暮らしをしてたよ。年金もいっぱいもらって。地域の人に愛されて。地域を愛して。

 

高校生の時は家が近かったのもあって週3で受験勉強をしに祖父の家に行った。実家で勉強すると寝てしまうから、図書館やらどこやらいろんなとこで勉強してた。

たまにコーヒーを出してくれた。豆を挽く音が心地よかった。良い匂いだね、あれは。それにたまにお菓子もくれる。

 私が午前12時に帰るから、それまでネットで囲碁をしていた。よく負けていたと思う。負けるときの音楽ばかりきいた。逆に勝ったときの効果音をよく知らない。

夜の12時までよく起きててくれたな、と今は思う。

 

祖父はいつも同じ場所に座って夕食を食べていた。

もう家族のいない大きなダイニングテーブルの真ん中で、椅子に座っていた。定位置だった。他の場所にいたことはない。

 

私はおじゃましまーすと言いながらリビングにつながる扉をあけると、よくきたなとか、こんばんはとか言ってくれる祖父がその場所にいたのだ。

 

リビングは常に掃除されていて、古くて良いものばかり。ダークオレンジの革張りのソファが気持ちよかった。あの匂い。あの家の匂いが好きだった。夏になると昭和のレトログリーンの扇風機がでてきた。うすーいレンガ色のカーテンの合間からから庭がみえた。

 

私は父とよく喧嘩をして、お互い引かないから、祖父のほうに家出しに行ったこともある。父はすこし怒鳴る癖があった。祖父は父を諌めることができる唯一の人物だった。

 

姉も私にたまにひどいことをいった。お母さんはあんたのことすこしも好きじゃなかったのよ。なんて平気で悪びれもなく私に言ったことがあって、そんなことないって知ってるけど、悲しかったときに、祖父が味方してくれた。姉があのとき本当に悪意もなくそう言ったので祖父も私も面食らった。

とにかく、子供の頃の家のなかで、中立的な、わたしに怒ったり優しくしてくれる、味方だった。家族はたまに敵になったから。

 

私は家族をうっとうしく思いながら、家族による最大の支援を受け、愛を感じて、実家を出た。高校の頃、家族が好きだったけど、毎日あれやこれや喧嘩していたので、それ疲れていたのもあって大学合格を期にホームシックになりながら一人暮らしをしたのだ。

 

家族は少し離れたくらいがちょうどいい。

 

月1くらいで実家に帰って祖父の家によって夕食を食べた。祖父と相撲中継を一緒に見たり、俳句の話とか、したけど、まぁ、わたしの話を聞きたがった。大体の人生、私今の所うまくいってないのであんまり話さなかったけど、うまくやってるよ、と嘘でも言えばよかったな。はぐらかしてばかり。自分のことを人に話すのは苦手。

 

 

祖父が死んだ日、病院を出て祖父よりも先に祖父宅に向かった。広い綺麗な庭はきれいなまんま。玄関を開けると祖父宅の匂いがした。リビングまでの扉を開けた時、祖父がいつもの定位置の椅子に座ってる感覚がして、ひどく安心した。

なんだまだ祖父はいるじゃない、と思った。

祖父はしばらくして祖父宅の座敷に運ばれてきたけど。

 

葬式が終わって祖父宅に行き、リビングをあけると

私の葬式はどうでしたか、なんて声が聞こえる気がした。まったくそんなことなかったけど、本気でそう思った。

 

日常に戻って実家に帰るとき、祖父宅に寄ろうと考えた。祖父の料理を食べに行こうとか、考えてしまった。

 

祖父に正月の相談をしなきゃ、今年こそおせちのレシピを教えてもらわなきゃ、と思ったり。

 

母が死んだ時は一度しかそんなこと思わなかったけど、祖父がまだいる気が何度も何度もしてしまう。

その度に喪失感が襲ってくる。

 

 

あー忘れてた。祖父は死んだんだ。

 

 

日々の忙しさにかまけてると、そういうことがよくある。

 

 

死んでしまった人の死んだことを忘れるつかのまに名前をつけてほしい。

ほんの一瞬だけ、その人が生きていると信じ込めているから。その後に心臓に穴が空いた気分を味わうとしても。

たぶんいつかこの感覚はなくなるから。

死んでる人を生きていると思い込んだ一瞬はその人は生きているのだ。

 

また祖父のご飯が食べたい。

49日が過ぎるまではどこかにいると思いたい。

過ぎてもいてほしい。