久しぶりの彼
久しぶりに彼ができた。
大学の友達の紹介で友達含めゲームをするようになった。ゲームの中で、電話を通して、はじめましてと言い合い、そして、好きになった。
いつもグループ通話だったから2人きりで話し合うことなんてほとんどなかった。でもたまに通話中にみんなが寝落ちしちゃって、2人だけで話し合う時があった。初めてそうなった時、会話が弾んで夜が明けても喋っていた。楽しくてしょうがなかった。
それから、夜が得意だったのもあって、できるだけ夜遅くまで起きてみんなが寝静まるのを待ってた。幸いなことに私は夜に強かったから遅くまで待ってられた。ただ、2人だけでメッセージや電話で連絡をすることはなかった。
700キロ以上はなれたところにいたから、ご飯にいきましょうとか、ちょっと飲みに行かないとか、気軽に誘う理由も見つけられなかった。
みんなでやるゲーム、その後の通話くらいしかなかった。顔だってぼんやりしか知らない。実は大学生の時に一度、二度会っていて、私は顔を覚えていたのだけど。だから全然知らない人ってわけではなかったし、おんなじ大学で共通の友人がいたりしてなんとなく素性やらなんやらは知れていた。それでもたかが知れてる。ぼんやりとこの人が好きだなぁから、好きになっていいのかな、に変わり、好きだけどどうしようもないな、になっていった。
いつもゲームをしてるみんなで彼のところに行こうという話になった。ぼんやりとして、どうしようもないだろうなと思っていた好きが、700キロ超えて会ってみたら後戻りできない好きを確信してしまった。
厄介だ。
たまに冗談で言われるのだ。結婚しようか、って。ちょろいのでドキドキしてしまう。考えてみたくなってしまう。私はちょろい。ちょろ子。私はちょろ子。ほんとに。「ど」がつくほどちょろい。どちょろい。どちょろこだ。
そう、その日も結婚しようか、と言われたので、私が冗談にできなくて、そんなこと言われると想像してしまうとか意識してしまうとかなんとか言ったらそういう流れになってしまった。
ちょっと早すぎだかな?という感じは否めなくて。好かれた手応えもないし、猫をかぶって接していたかなと思うし。
それでもいいかもとおもった。
付き合う時、みんなで話題にして楽しんでいた私の好きなドラマトラック(ヒフマイ)の一部を引用して、付き合おうって言ってくれた。サイコロを振って奇数だったら付き合う、偶数だったらやめとこう、でも偶数だったらラ○ダみたいにサイコロの目変えちゃうかも、みたいな、説明が下手な私ですね。その、ユーモアが好きと思ったから。
私の好みとはちょっと違うけど、好きだと思った。この人の喋り方とか声とかが好きだと思った。
毎日可愛いと大好きを言ってくれる。
不満は、近くにいないこととお米を仕事から帰ってきてから五合炊くので夕飯の時間がそろいにくいこと、ですかね。
結婚したいね。一緒の炊飯器でお米炊きたいね。
わたしたち、永遠だといいね。
イライラさせるかもと
きみをイライラさせるかもとゆうくんが言った。
確かによく、手際が悪かったりする人にイライラするかもしれない。要領が悪かったり。
そう。
そんな自分が嫌いだ。
流れを断ち切るのが嫌いで、八方美人でその場がまるくなるようなことを言ってしまう。
そして、あとで、より、謝らなきゃいけなくなったりするのだ。
周りの期待ばかり優先してしまうときがある。
望まれたらそうしてしまう癖がある。
だから、私が望んでるのにうまく行かないことにイライラしてしまうのだと思う。
私はそうしてるのに、って…。
もどるけど。
彼は私をイライラさせるかもと言った。態度に出ていたんだろうか。態度に出てるんだろうな。本当にわたしでいいのかな。ゆうくんなんで私を選んだの。私は選ばれていいのかな。私に大好きと言ったあなたがすき。私がイライラしててもそばにいて。私が嫌なやつになっても、諭して諌めて治めてそばにいて。
そうだよ私達は
誰にも注目されないまま死んでゆくんだ
ジョジョラビットを見ました
ジョジョラビット
パラサイトとどっち見ようか迷った。
パラサイト人気だったのであえてこちらを見た。
ざっくり言うと、第二次世界大戦、ヒトラーをイマジナリーフレンドにしてる10歳の男の子ジョジョとユダヤ人をかばうお母さん(スカヨハ)と家の壁にお母さんに匿われたユダヤ人の女の子の話。
映画、よかった。
戦争を基盤とした映画で序盤をあれほど明るく描くのは難しかったと思う。
ちゃんとナチスドイツが何をしていたかを知っていると明るい画面でも心がキュッとなってしまうけど、お母さんがすごく明るかったし、他のキャラクターもさっぱりと描かれていた。あっけらかんとしている。わざとだろうな。「戦場のピアニスト」や「縦縞模様のパジャマの少年」を見てきていると、こうやってこのあっけらかんさで映画を作ろうと思ったらやっぱり、難しかったろうなと思う。
でもやっぱり戦争の映画だということは随所で思い出させるのだけど。
最初から出てくるキャプテンKの話をしたい。
誰かとキャプテンKの話がしたい。
脇役にしては深みを持ち過ぎていた…。
前線から戦力外通告を受けてこのドイツの子供達のお守りをする教官に降格するまでの人生を知りたい。
彼がどんなものを今まで見てきていてしまったのか。彼は都会でどんな人物だったのか。
色々予想や妄想が膨らむ。
私はキャプテンKの背景がかなり気になったのだけど、そういえば全登場人物自分の背景をあまり語らない。
お母さんが具体的に何してたかとか、
ユダヤ人の女の子の具体的な背景とか
さらりと流していて
ジョジョの目線でしかわたし達は映画を見ることが許されてなかったな、と思う。
戦況だってそうだ。ジョジョが知らなかったらわたし達もナチスが今どんな状況なのかちっとも分からなかった。
それがあのあっけらかんさを作っているのかもしれない。
ジョジョの目線でしか見てないから。
無知な子供の目線でしか戦争を見なかったからかなあと思う。
パワパフの解釈
数え落とした昨日の
欠片かき集めて
立て直したプライド抱えて
風と雲が急ぎ騒ぐ
きりきり舞いには
試される、自らが言い訳無しで
選び取るのは魂。二度目は無い
これは歌詞なんですけど、この歌詞をみて何を思い浮かべますか?
まずボーカルはどなたでしょうか?
男の人でしょうか、女の人でしょうか歌詞はかなり中性的だと思うんです。
歌っているのは
P.P.Sで
曲名は『Work Soul Out!!』
当時、パワーパフガールズの日本での放送に合わせ声優さんたちがユニットを組んでイメージソングを制作しました。
「パワーパフガールズ」とは、カートゥーンネットワークで放送された、スーパーパワーを持った3人の幼稚園に通う女の子たちが主人公のコメディアニメです。
スーパーパワーでタウンズビルで起こる悪者たちをやっつけるヒーローアニメでもあります。が、コメディ要素がかなり強いです。アメリカンコメディ。
トゥーンアニメって結構コメディ要素が強くて終始ふざけ切ったギャグがある、子供向けのイメージが世間的には強い、、、と思っているんですが当時のパワーパフガールズも最初はそんな感じです。日本のドラえもんとかクレヨンしんちゃんのアニメを想像してくれて結構です。(近年は大人も楽しめるストーリーのものが多くみられますが、カートゥーンとか全くみてこられない方には説明が難しい気がします)
で、この歌詞を声優の林原めぐみさん含め3人の透き通った声の持ち主が歌っているわけなのですが、歌詞をもう一度みてみましょう。
数え落とした昨日の
欠片かき集めて
立て直したプライド抱えて
風と雲が急ぎ騒ぐ
きりきり舞いには
<サビ>
試される、自らが言い訳無しで
選び取るのは魂。二度目は無い‼︎
コメディアニメ要素どこ?
きりきり舞い…確かにガールズは頻繁に出てくるモンスター退治に忙しいってエピソードもあったな…。とは思うけど言葉の表現がカッコ良すぎないか…?
サビは
言い訳なし、選ぶしゃなくて選び取る。
かなり強い印象を受けます。
ってなるんですよ。パワパフってこんなんだっけ?
歌詞は続きます。
秘めた野心の香りをまとい始めた朝
立ち姿もいささかハンサム
心に飼う龍につけるトンボの羽でも
そうここに残ってる傷のあとには
消えないでと願ってる証となれ
うーん。女の子が心に龍を飼ってトンボの羽をつける…。結構、和テイストなものが入ってきましたね。
朝、立ち姿 と、くると出勤前とか登校前とかを思い出させます。朝に野心の香りをまとうってことは、今日はやってやろうとか気合の入った朝なんでしょうか。
最後の2行が解釈難しいんですけど
傷のあとを証にしたいんですかね、傷あとを残したくないって女の子多いんじゃないでしょうか。それが心の傷だったとしても傷あとを残しておきたいっていうのは、何か戦った証拠とはいえ、カッコいいですね。
これがまどマギとか、セーラームーン、プリキュアとかだったらわからなくもないんですが、パワパフですから、なおさら不思議なんですよね。パワパフを、闘うガールズの方にすごくフォーカスしてくれたんでしょうか。かなり大人っぽい解釈で。
というか、子供人気はそんなに狙ってなかったのかもしれないですね。今となっては分からないです
生理わけわかんない
生理痛がひどくなった。
中学生の頃や高校生の頃は全然痛みなんてなかったのに!
い
た
い
この困難を乗り切る術………おしえて。
周期は3〜5日くらいズレる。
朝に血が流れない。
25日周期くらいだからたまに月2回きたりする。
病院で診てもらったけど正常だった。
よかった。
けど生理痛がひどい。
もらった選択肢はみっつ。
ピル
痛み止め
漢方
使ったことない人は知らないだろうけど
ピルは毎日飲まなきゃいけない。
海外に行く時使ったけど飲むのやめた日から生理が来た。そうやって海外行く時は調整した。痛みなし。
痛み止め。頭が来る前くらいに飲む。
強い薬になると副作用がある。
基本的にはロキソニンを飲む。
漢方毎日飲まなきゃいけない。漢方は使ったことないけどどうなんだろう。
生理痛、間違って副作用の強い方を飲んで余計ひどくなって会社から帰った。おえ。
体質は変わるんだよねと、女性の先輩方。
生理痛はもうしょうがないよな、と思った。
あんなに痛みがなかったのにこんな風に会社を休まなければいけなくなるほどきつくなって。
人によって症状も全く違って、完璧な解決法はないんだから。そうだよな、生理そのものは痛いけど病気ではないんだもんな。
子宮の病気になってたりすることもあるかもだけど、基本的には生理は排除するものじゃないもんな。
しかも人によって、年代によって振り幅が違いすぎて。
理解されにくいよな、私だってわけわかんないもん。
でも私が青い顔してお腹をさすってたらみんな心配してくれる環境でよかった。
ところで生理周期四年分くらいつけてるデータがあるんだけどなんか需要ないかな?
死んだことを忘れたことについて
母が死んだ時、9歳だった。
癌だった。
悲しかった寂しかった。
死んだ日、一日中病院にいてチョコレート2個しか食べなかったから、母が夜死んだ後、お腹が空いて空いて仕方なくてコンビニでミートパスタを買ってもらって食べた。
しばらくすると、母が病院からうちの座敷に運ばれてきた。ミートパスタを目の前に、母は布団に仰向けになった。
ヘトヘトになってその日は終わった。
朝になると、母が生きてる感覚が一瞬した。おはようを言いに行こうと思ったけど、いないんだとすぐに理解した。
あの喪失感は死んだ時よりずっと悲しかった。
それから時間が過ぎて痛みも柔らかくなって。
こないだ私を、私たち家族を、母が死んでから支えてくれていた祖父が死んだ。
小学校の時は晩御飯を作ってくれてた。料理が得意で、いい暮らしをしてた。大きな家と、立派な庭と。趣味があって。
正月はおせちもお雑煮も作ってくれた。盆は朝早く墓参りしにいった。これが毎年の行事。絶対欠かすことのないもの。
自分の愛する妻が死んだ以外は祖父の暮らしはおおむね、穏やかで満ち足りていた。良い暮らしをしてたよ。年金もいっぱいもらって。地域の人に愛されて。地域を愛して。
高校生の時は家が近かったのもあって週3で受験勉強をしに祖父の家に行った。実家で勉強すると寝てしまうから、図書館やらどこやらいろんなとこで勉強してた。
たまにコーヒーを出してくれた。豆を挽く音が心地よかった。良い匂いだね、あれは。それにたまにお菓子もくれる。
私が午前12時に帰るから、それまでネットで囲碁をしていた。よく負けていたと思う。負けるときの音楽ばかりきいた。逆に勝ったときの効果音をよく知らない。
夜の12時までよく起きててくれたな、と今は思う。
祖父はいつも同じ場所に座って夕食を食べていた。
もう家族のいない大きなダイニングテーブルの真ん中で、椅子に座っていた。定位置だった。他の場所にいたことはない。
私はおじゃましまーすと言いながらリビングにつながる扉をあけると、よくきたなとか、こんばんはとか言ってくれる祖父がその場所にいたのだ。
リビングは常に掃除されていて、古くて良いものばかり。ダークオレンジの革張りのソファが気持ちよかった。あの匂い。あの家の匂いが好きだった。夏になると昭和のレトログリーンの扇風機がでてきた。うすーいレンガ色のカーテンの合間からから庭がみえた。
私は父とよく喧嘩をして、お互い引かないから、祖父のほうに家出しに行ったこともある。父はすこし怒鳴る癖があった。祖父は父を諌めることができる唯一の人物だった。
姉も私にたまにひどいことをいった。お母さんはあんたのことすこしも好きじゃなかったのよ。なんて平気で悪びれもなく私に言ったことがあって、そんなことないって知ってるけど、悲しかったときに、祖父が味方してくれた。姉があのとき本当に悪意もなくそう言ったので祖父も私も面食らった。
とにかく、子供の頃の家のなかで、中立的な、わたしに怒ったり優しくしてくれる、味方だった。家族はたまに敵になったから。
私は家族をうっとうしく思いながら、家族による最大の支援を受け、愛を感じて、実家を出た。高校の頃、家族が好きだったけど、毎日あれやこれや喧嘩していたので、それ疲れていたのもあって大学合格を期にホームシックになりながら一人暮らしをしたのだ。
家族は少し離れたくらいがちょうどいい。
月1くらいで実家に帰って祖父の家によって夕食を食べた。祖父と相撲中継を一緒に見たり、俳句の話とか、したけど、まぁ、わたしの話を聞きたがった。大体の人生、私今の所うまくいってないのであんまり話さなかったけど、うまくやってるよ、と嘘でも言えばよかったな。はぐらかしてばかり。自分のことを人に話すのは苦手。
祖父が死んだ日、病院を出て祖父よりも先に祖父宅に向かった。広い綺麗な庭はきれいなまんま。玄関を開けると祖父宅の匂いがした。リビングまでの扉を開けた時、祖父がいつもの定位置の椅子に座ってる感覚がして、ひどく安心した。
なんだまだ祖父はいるじゃない、と思った。
祖父はしばらくして祖父宅の座敷に運ばれてきたけど。
葬式が終わって祖父宅に行き、リビングをあけると
私の葬式はどうでしたか、なんて声が聞こえる気がした。まったくそんなことなかったけど、本気でそう思った。
日常に戻って実家に帰るとき、祖父宅に寄ろうと考えた。祖父の料理を食べに行こうとか、考えてしまった。
祖父に正月の相談をしなきゃ、今年こそおせちのレシピを教えてもらわなきゃ、と思ったり。
母が死んだ時は一度しかそんなこと思わなかったけど、祖父がまだいる気が何度も何度もしてしまう。
その度に喪失感が襲ってくる。
あー忘れてた。祖父は死んだんだ。
日々の忙しさにかまけてると、そういうことがよくある。
死んでしまった人の死んだことを忘れるつかのまに名前をつけてほしい。
ほんの一瞬だけ、その人が生きていると信じ込めているから。その後に心臓に穴が空いた気分を味わうとしても。
たぶんいつかこの感覚はなくなるから。
死んでる人を生きていると思い込んだ一瞬はその人は生きているのだ。
また祖父のご飯が食べたい。
49日が過ぎるまではどこかにいると思いたい。
過ぎてもいてほしい。